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名古屋地方裁判所 昭和58年(ワ)3141号 判決

原告(反訴被告)

名古屋急送株式会社

被告(反訴原告)

岩田義男

主文

一  原告(反訴被告)名古屋急送株式会社の本訴請求を棄却する。

二  原告(反訴被告)名古屋急送株式会社、反訴被告榎本正は被告(反訴原告)に対して、各自三二〇万四七一九円及び昭和六〇年四月四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

三  被告(反訴原告)のその余の反訴請求を棄却する。

四  訴訟費用は本訴反訴を通じてこれを三分し、その二を被告(反訴原告)の負担とし、その余を原告(反訴被告)名古屋急送株式会社、反訴被告榎本正の連帯負担とする。

五  この判決は、第二項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

(本訴について)

一  請求の趣旨

1 被告(反訴原告)(以下「反訴原告」という。)は原告(反訴被告)名古屋急送株式会社(以下「反訴被告会社」という。)に対し、四三八万六四〇六円及びこれに対する昭和五八年一一月一五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2 訴訟費用は反訴原告の負担とする。

3 仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1 反訴被告会社の請求を棄却する。

2 訴訟費用は反訴被告会社の負担とする。

(反訴について)

一  請求の趣旨

1 反訴被告会社、反訴被告榎本正は反訴原告に対して、各自八〇七万七六六〇円及び昭和六〇年四月四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2 訴訟費用は反訴被告らの負担とする。

3 仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1 反訴原告の請求を棄却する。

2 訴訟費用は反訴原告の負担とする。

(本訴について)

一  請求原因

1 反訴被告会社は、その従業員である反訴被告榎本正が昭和五六年一二月一五日午前九時五分ころ、三重県度会郡大内山村字大津一〇七〇番地先路上において普通貨物自動車(名古屋一一う六四八六、以下「加害車」という。)を運転走行中に起こした事故(以下「本件事故」という。)により同乗していた反訴原告の蒙つた損害賠償として治療費五五万二五〇〇円、内払い金四四五万六〇三二円の合計五〇〇万八五三二円を反訴原告に支払つた。

2 反訴原告の本件事故による損害

反訴原告が本件事故によつて蒙つた損害の相当額は次の通りである。

治療費 二万六三六〇円

休業損害 三九万五七六六円(七三二九円×五四日間)

慰謝料 二〇万円

合計 六二万二一二六円

3 反訴被告会社は反訴原告に対し、本件事故による相当因果関係にある損害額の六二万二一二六円を超えて四三八万六四〇六円の過払をしているが、これは法的無知により反訴原告の要求のまま支払に応じたためであり、反訴原告は四三八万六四〇六円を法律上の原因なくして利得した。

よつて、反訴被告会社は反訴原告に対し、本件事故による損害賠償の過払金四三八万六四〇六円及びこれに対する本訴状送達の翌日である昭和五八年一一月一五日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1 請求原因1の事実は認める。

2 同2の事実は否認する。

3 同3は争う。

三  抗弁

反訴請求原因と同じ

四  抗弁に対する認否

反訴請求原因に対する認否と同じ

五  抗弁に対する主張及び再抗弁

反訴の主張及び抗弁と同じ

六  抗弁に対する主張及び再抗弁に対する認否

反訴の主張及び抗弁に対する認否と同じ

(反訴について)

一  請求原因

1 本件事故の発生

(一) 反訴被告榎本正は、昭和五六年一二月一五日午前九時頃三重県度会郡大内山村字大津一〇七〇番地先路上で反訴被告会社の業務のため加害車を運転して走行中、前方を注視して事故の発生を未然に防ぐ業務上の注意義務があるところ、これを怠り、前方道路が右カーブであるのに直進し、ハンドルを右に切るのが遅れて、道路左方の高さ約二〇センチメートルの路肩ブロツクに同車左前輪を衝突させ、助手席に同乗していた反訴原告を飛び上がらせる事故を起こした。

(二) 右事故により、反訴原告は昭和五六年一二月二五日から翌年二月一六日迄の間四日間名古屋市立守山市民病院に通院加療、同年二月一五日から昭和五九年二月末日迄大曽根外科病院に通院実数五五六日を要する頸部腰部挫傷の傷害を受けた。

2 責任原因

(一) 反訴被告榎本正は、前方不注視とハンドル操作の不適当の過失があつた。

(二) 反訴被告会社は、本件事故当時反訴被告榎本正の運転する加害車を自己のために運行の用に供していたものであり自賠法第三条の責任がある。

3 損害

(一) 治療費 五五万二五〇〇円

(二)(1) 昭和五八年九月三〇日までの休業損害その他 四四五万六〇三二円

(2) 休業損害(逸失利益) 昭和五八年一〇月一日から昭和六〇年三月三一日迄の一八ケ月間、一ケ月二一万九八七〇円の割合による給料相当の逸失利益合計三九五万七六六〇円

(三) 慰謝料 昭和五六年一二月二五日から昭和六〇年三月二四日迄通院中の期間一ケ月五万円の割合による三九ケ月分の慰謝料合計一九五万円

(四) 後遺症による損害賠償 反訴原告は本件事故に因り治療を受け昭和六〇年四月三日症状固定の診断を受けたが、後遺障害として、頸部第四―五、第五―六、第六―七椎間の狭小化が認められ、今後椎間板の損傷が促進されるものと認められ、局部に頑固な神経症状を残すに至つた。これは自賠法施行令別表第一二級一二号に該当する後遺障害で二一七万円が保険金額であるから、右後遺症の慰謝料及び逸失利益として同金額の二一七万円の損害がある。

(二)(2)、(三)及び(四)の合計額八〇七万七六六〇円

4 損害の填補

反訴被告会社は、前記3の(一)の治療費五五万二五〇〇円及び同3の(二)の(1)昭和五八年九月三〇日までの休業損害その他四四五万六〇三二円を反訴原告に対して支払つた。

よつて、反訴原告は反訴被告会社、反訴被告榎本正に対し、各自本件事故にもとづく損害賠償として八〇七万七六六〇円及びこれに対する本件事故の後である昭和六〇年四月四日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1(一) 請求原告1の(一)の事実は認める。

(二) 同1の(二)の事実は否認する。

2 同2の(一)、(二)の各事実は認める。

3(一) 同3の(一)の事実は不知。

(二)(1) 同3の(二)の(1)の事実は不知。

(2) 同3の(二)の(2)のうち、反訴原告の休業損害が一ケ月当たり二一万九八七〇円であることは認め、その余は不知。

(三) 同3の(三)の事実は不知。

(四) 同3の(四)の事実は不知。

4 同4の事実に記載の金額を支払つたことは認める。

三  反訴被告らの主張及び抗弁

1 反訴原告の既往症について

(一) 反訴原告は既往症として変形性脊椎症が本件事故以前よりあつたが、その変形性脊椎症のため年中腰が痛いとか、だるいと同僚に言つていた。また、職場でも二階から飛びおりたりして怪我をすることが多く、一七年間も会社で重労働についていたためか貨物自動車の助手席に乗つているときでもぐつたりしていつも疲れている様子であつた。また、反訴原告の年齢(本件事故当時五九歳)からくる老化現象も影響しており、右変形性脊椎症の影響とあわせて、頸部腰部の痛みが継続しているものである。

反訴原告は、本件事故により頸部挫傷の傷害を負つたとして、事故日の一〇日後の昭和五六年一二月二五日から昭和五七年二月一六日迄の間、名古屋市立守山市民病院へ四日間通院したが、同日、治癒との診断を受けている。しかも、守山市民病院への実通院日数は右の通り五四日間のうちわずか四日間であるから本件事故による反訴原告の負傷の程度は小さいものであり、反訴原告は、その後も大曽根外科病院に通院しているが、本件事故と相当因果関係にあるものではなく、右通院は、既往症の変形性脊椎症のための治療である。

(二) 仮に右通院治療について相当因果関係があるとしても、昭和五七年二月一六日以降の治療の大部分は変形性脊椎症の影響のためのものであるから、損害賠償を算定するにあたり、その寄与率を考慮すべきである。

2 好意同乗による減額

反訴原告は、事故当時、訴外名古屋運送株式会社(以下「訴外会社」という。)に勤務していたところ、本件事故日である昭和五六年一二月一五日は、三重県紀伊長島でたまたま反訴被告会社と訴外会社が一緒にやる仕事があるということで、反訴被告榎本正運転の加害車に反訴原告が同乗して紀伊長島に向かう途中で、本件事故に遭遇したものである。反訴原告は、他社従業員で、自動車の運転ができず、且、たまたま反訴被告榎本正が加害車で名古屋から紀伊長島の現地に向かい反訴原告にとつても都合がよいということで同乗していたものである。仮に百歩譲つて反訴原告に何らかの損害が発生したとしても、右の如き、反訴原告が加害車に同乗していた経緯からすれば、信義則ないし衡平の理念に照らし反訴原告の損害につき、すくなくとも三〇パーセント以上の減額がなされなければならない。

四  主張及び抗弁に対する認否

1 主張及び抗弁1の(一)、(二)はいずれも争う。

2(一) 同2の事実は否認する。

(二) 訴外会社は、反訴被告会社の加害車と、反訴被告榎本正を運転手つきで傭車し、反訴被告榎本正は運転手兼作業員として訴外会社の仕事をするため乗車したのであり、反訴被告会社の仕事をたまたま一緒にやるためのものではない。反訴被告榎本正は好意で反訴原告を乗車させたのではなく、職務遂行のため反訴原告を乗車させたものではなく好意同乗論による減額請求は理由がない。

第三証拠

記録中の書証目録及び証人等目録の記載を引用する。

理由

一  本訴事件について

1  請求原因1(反訴被告会社の反訴原告に対する五〇〇万八五三二円の支払)の事実は当事者間に争いがない。

2  反訴原告の本件事故にもとづく損害は後記二の反訴に対する判断のとおり八二一万三二五一円となり、右五〇〇万八五三二円の支払をしても、反訴被告会社は反訴原告に対し本件事故にもとづく損害額を超えて支払をしていないから、反訴原告には何らの不当利得は存しない。

二  反訴事件について

1  本件事故の発生と責任原因

請求原因1の(一)(本件事故の発生)と同2の(一)、(二)(責任原因)の各事実は当事者間に争いがない。

したがつて、反訴被告会社、反訴被告榎本正は各自本件事故にもとづく損害を賠償する責任がある。

2  受傷の部位、程度

成立に争いのない甲第三、第四号証の各一、二、第一一号証、第一二号証の一ないし一四、第一三号証の一ないし七、第一五号証、乙第一号証、反訴被告榎本正本人尋問の結果により成立の認められる甲第一四号証、弁論の全趣旨により成立の認められる乙第三号証、証人吉田一郎、同志津有一の各証言、反訴原告、反訴被告榎本正の各本人尋問の結果、鑑定人吉田一郎、同池田清の各鑑定の結果によれば、以下の(一)ないし(四)の事実が認められる。

(一)  反訴原告は、反訴被告榎本正の運転する加害車の助手席にいて、同車が歩道と車道を区別するための高さ約二〇センチメートルの路肩ブロツクに衝突してしまうことをその直前で察知し、反訴被告榎本正に「危ない」と声をかけたもので、不意をつかれたわけではないが、その衝突の衝撃により反訴原告の体が座席から飛び上がつた。その際、反訴原告は衝撃で意識がなくなるとか、体のどこかに痛みを感じることはなかつた。

(二)  反訴原告は、本件事故後も訴外会社に行き、軽作業に従事していたが、本件事故の一週間後に重圧感を、同一〇日後には耐えられない痛みを覚え、昭和五六年一二月二五日名古屋市立守山市民病院で診察を受け、頸部挫傷と診断されて、翌五七年二月一六日まで実日数四日の通院加療を受けたが、同病院では薬物療法だけで、牽引療法や電気治療などをしなかつたため、反訴原告は痛みがとれないとして大曽根外科に転院した。

(三)  反訴原告は大曽根外科病院で医師志津有一により頸部、腰部挫傷の診断を受け、昭和五七年二月一五日から昭和五九年三月九日まで実日数五五六日の通院をし、その後も同医師により頸部挫傷の後遺症が症状固定をしたと診断された昭和六〇年四月三日まで通院をして、頸椎の牽引療法、電気治療、薬物療法の治療を受けた。

(四)  反訴原告は、レントゲン写真において、頸椎柱での軽度のS字状側彎変形、第四頸椎から第六頸椎にいたるルシユカ関節部での硬化像変形、第三から第六頸椎までの椎間板部の中心に骨棘形成、椎間板狭小化、第七頸椎棘突起先端棘上靱帯部の骨化陰影、腰椎において第二、第三腰椎の左回旋とそれに伴う軽度の側彎、第三腰椎の軽度の後方辷り、各棘突起における棘上靱帯部での骨化、腰仙椎間部の椎間関節の硬化像がみられ、本件事故以前より頸椎、腰椎ともに変形性脊椎症があつた。これは、加齢による椎間板の退行変性と反訴原告の土木作業員、運搬等の現場作業員としての仕事による脊柱への荷重の結果などによると考えられる。

なお、反訴原告は本件事故以前には項腰痛を自覚していなかつたようだが、腰が痛いと同僚に話したこともあつた。

反訴原告は、本件事故による衝撃がそれ程大きいものではなかつたが、右変形性脊椎症により、椎間板の弾力性が減少し、本件事故による衝撃を十分に吸収することができず、前記症状が発生するに至つたと考えられる。

(五)  反訴原告は本件事故当時五九歳であり、既に肉体的重労働をすることができなかつたものの、訴外会社に勤務して運転助手及び荷物運搬の作業手伝などをしていたところ、本件事故後の前記症状の治療を受け、訴外会社の右仕事に従事しなかつた。しかし、反訴原告は大曽根外科病院へ自転車で通院していたもので、日常の生活に特段の不自由はなく、近くの菜園に散歩し、日向ぼつこをするなどが主な日課となつていたもので、全く労働ができない状態ではなかつた。

3  後遺症

(一)  証人吉田一郎の証言及び鑑定人吉田一郎、同池田清の各鑑定の結果によれば、反訴原告は、昭和六〇年一月二八日において頸椎の伸展、屈曲、左屈、右屈において一〇度ないし二〇度位の疼痛性制限があり、握力右二九キログラム、左三三キログラムであり、昭和六一年二月二七日において重量物運搬時により強く自覚する腰痛と頸部の前屈時以外により強く自覚する項痛があり、上部腰椎と腰仙部に叩打痛が、両側腕神経叢に軽度の左肩甲上神経に中等度の圧痛があり、反訴原告には局部に頑固な神経症状を残す後遺症があると診断されたことが認められる。

(二)(1)  証人志津有一の証言により成立の認められる乙第四号証によれば、大曽根外科病院で診療にあたつた同証人医師志津有一は反訴原告の頸部挫傷の症状は昭和六〇年四月三日に固定したと診断し、証人吉田一郎の証言及び鑑定人吉田一郎の鑑定の結果によれば、同吉田一郎は反訴原告の症状固定につき約三年間治療を継続している経過と反訴原告の痛みの起こる原因その他を判断し、昭和六〇年三月末の時点で症状固定と考えると診断したことが認められる。

(2)  しかし、その治療の経過をみると、成立に争いのない甲第一一号証、乙第一号証、証人志津有一の証言、反訴原告本人尋問の結果によれば、反訴原告が昭和五七年二月一五日大曽根外科病院に通院した当時、首を動かすと痛く、首を斜め左下にうつ向けると吐き気がするとの症状があり、その症状は医師志津有一作成のカルテからすると、同年五月二二日後屈障害、即ち後ろへ首を曲げるのが障害されていると診断され、同年六月一七日良好(症状が良くなること)、同月二六日痛みが悪くなつたので再びカラーをつけ、同年七月一二日、同年八月一二日症状が少し良くなつたため体操の指示を受け、同月二三日良好、同年九月二四日夜間痛みがある、同年一〇月四日痛みがとれてきた、同月二七日反訴原告は魚つりに行つたところ、痛みが出てくる、同年一一月五日、同月八日、同月一三日、同月一七日首と後頭部の痛み、同年一二月一三日頭痛と吐き気、同月二四日吐き気、同月二八日お正月は安静にすることとの指示を受け、昭和五八年一月一七日、同月二四日痛み(後頭神経痛)とときどきめまいがあり、同年二月二二日首と肩の痛み、同年三月七日頸部痛再び出てくる、同月一六日耳鳴り一日中する、カラーをやめて包帯で固定、同月二六日耳鳴り、同年四月一二日耳鳴りやや軽い、同年五月一〇日良好、同月一七日夜間痛み、同年六月一〇日右手に力を入れると痛みあり、同年七月一日良好、同年八月一二日夜間痛み、同年九月九日首の体操の指示を受け、同月二二日痛み良好、同年一〇月一四日痛み軽くなる、同月二一日自覚的にはよい、同年一一月四日うつむくと首の痛みが増強する、同月七日痛み、同月一〇日痛み、再びカラーをつけてみる、同月一五日痛み良好、同月二一日カラーをはずしてみる、同月二八日痛み軽快、同年一二月九日自覚的にもよいとされていたこと(なお医師志津は昭和五八年一一月一〇日反訴原告の主訴は軽快しつつあり、日常生活指導を含めて現在初診時の痛みはほぼ消退したようと思われると診断している。)、このように反訴原告の症状は一進一退を繰り返えし、その治療も初診以降ほとんど内容を変えず、頸部、腰部の温熱と間歇牽引、首の電気治療、マツサージ、神経痛の注射、ビタミンB12の混合注射、鎮痛剤、ビタミンB1、胃薬の内服を続けていること、一般にいわゆるむち打ち症といわれるような神経症状はさまざまな症状が出たりあるいは良くなつたりすることを繰り返しながら消失していくものであることが認められる。

右の反訴原告の症状の推移と治療の経過からすると、反訴原告の前記症状固定時期を本件事故から三年以上も経過した昭和六〇年四月三日とする医師志津有一の見解及び、同年三月末とする鑑定人吉田一郎の見解を直ちに採用することはできない。

(3)  鑑定人池田清の鑑定の結果によれば、反訴原告の本件事故による傷害について、その固定時期は昭和五七年末から昭和五八年二月頃までとするのが妥当と思われると判定し、その理由として診療担当者は一定の期間内に比較的確実な効果が期待できる治療手段があるとは言えなくなつた時点においては然るべき社会的手続として症状固定扱いとすることを患者に説明し納得させる必要があり、脊柱の挫傷によると思われる慢性的な症状を呈する場合、患者も診療側も共に納得できるための期間としては経験的に診療開始後一年以内位とするのが妥当であること、一般に生体における組織の損傷は数か月に亘つて増殖する線維性結合組織により修復され、さらに数か月にわたる吸収、再構築過程を経るものと考えられるので、脊柱の挫傷によるものと思われる慢性的症状を呈する場合、症状固定の時期は受傷後約一年前後とするのが妥当であることをあげていること(但し、大曽根外科病院で診療にあたつた医師志津有一の治療方針、臨床所見などの時間的推移をカルテから伺い知ることはできないとして、これらを症状固定の時期推定の参考としなかつた。)が認められる。

(4)  右認定事実と前記2認定の受傷の部位、程度、前記3の(一)認定の後遺症診断、前記3の(二)の(2)認定の治療の経過及び後記6のように反訴被告会社は反訴原告に対し、昭和五八年九月分までの休業損害を支払つていたことを総合判断すると、反訴原告の前記症状は昭和五八年九月三〇日に固定し、局部に頑固な神経症状を残す後遺症があると認めるのが相当である。

4  因果関係

前記二の2認定のとおり、反訴原告には本件事故以前より変形性脊椎症があつたが、本件事故以前に右変形性脊椎症の治療を受けていた形跡はなく、本件事故後に生じた症状に対してなされた治療については本件事故と相当因果関係を認めるのが相当である。

反訴被告らは、仮に相当因果関係があるとしても、昭和五七年二月一六日以降の治療の大部分は変形性脊椎症の影響のためのものであるから、損害賠償を算定するにあたり、その寄与率を考慮すべきであると主張するところであるが、反訴原告の既往症である変形性脊椎症自体がどの程度影響を与えたのか明らかでないこと、前記二の23認定のとおり反訴原告は変形性脊椎症により椎間板の弾力性が減少し、本件事故による衝撃を十分吸収することができず、通院治療を要する症状が発生したこと、反訴原告の三年を越える大曽根外科病院に通院治療をしているにもかかわらず、昭和五八年九月三〇日症状は固定したとして、その相当因果関係ある治療をその半ばに制限していることから、右症状固定した昭和五八年九月三〇日以前の治療につき、変形性脊椎症の影響があるとしてその寄与率を考慮し、さらに制限するのは妥当でないので、反訴被告らの右主張は採用しない。

5  損害

(一)  治療費 五五万二五〇〇円

成立に争いのない甲第三号証の二、第四号証の二によれば、請求原因3の(一)(治療費五五万二五〇〇円)の事実が認められる。

(二)  休業損害 三五四万四二七五円

反訴原告の休業損害が一ケ月二一万九八七〇円であることは当事者間に争いがなく、前記二の2認定の受傷の部位、程度、前記二の3の(二)の(2)認定の治療の経過からすると、本件事故日である昭和五六年一二月一五日から症状固定日である昭和五八年九月三〇日までの間の二一・五ケ月のうち四分の三労働ができず休業損害が発生したと認めるのが相当であるから、その損害は次のとおりになる。

21万9800円×21.5月×3/4=354万4275円

(三)  逸失利益 一三一万六四七六円

反訴原告には前記二の3認定の後遺症が残存しているところ、同認定の局部に頑固な神経症状を残す後遺症は、症状固定後四年間について一四パーセント労働能力を喪失したと認めるのが相当であるから、その損害は次のとおりになる。

21万9870円×12月×0.14×3.564=131万6476円

(四)  慰謝料 二八〇万円

反訴原告が前記認定の本件事故による傷害及び後遺症により多大の精神的苦痛を被つたことは明らかであり、本件事故の態様、反訴原告の受傷の部位、程度、治療の経過、後遺障害の内容、程度その他の事情を総合すると、慰謝料額は二八〇万円とするのが相当である。

6  損害の填補 五〇〇万八五三二円

反訴被告会社が反訴原告に五五万二五〇〇円及び四四五万六〇三二円を支払つたことは当事者間に争いがなく、その内訳として成立に争いのない甲第九号証の一ないし一九によれば、反訴被告会社は反訴原告に対し、昭和五八年九月分まで、月二一万九八七〇円の休業損害の支払をしていたことが認められる。

したがつて、前記5の損害合計八二一万三二五一円から右填補分五〇〇万八五三二円を差し引くと、残損害額は三二〇万四七一九円となる。

7  好意同乗

反訴原告、反訴被告榎本正の各本人尋問の結果によれば、訴外会社はコンピユーター等の資材運搬をするため、反訴被告会社から加害車(普通貨物自動車)を運転手である同社の従業員反訴被告榎本正つきで傭車し、運転助手として訴外会社の従業員反訴原告を加害車に乗車させていた際、本件事故が起きたものであり、たまたま反訴被告榎本正が加害車で名古屋から紀伊長島の現地に向かうところ、反訴原告にとつても都合がよいということで同乗したものではないことが認められる。

右認定の事情からすると、信義則ないし衡平の現念からする好意同乗による減額はできないところである。

三  結論

以上の次第で、本訴請求はすべて理由がないからこれを棄却し、反訴請求は反訴被告らが反訴原告に対し、各自三二〇万四七一九円及び本件事故日の後である昭和六〇年四月四日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項但書を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 駒谷孝雄)

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